3章「白濤の港町」
第42話「 白濤蠢影 - Hearts Stir in the Abyssophilian’s Wrath. - 」
レイに医療費を返すためトレジャーハントに参加したフィリア達は、激戦の果てに、港町〈グランツ〉に無事生還する。
港から宿屋に戻ろうとした時、白い海〈ブラン海〉に『海漩竜〈アビスオフィリアン〉』が出没。
港町は被害に巻き込まれる。
作戦は決まった。
完璧なものではない。
むしろ、できることを並べただけの作戦だ。
それでも──
やるしかない。
「行きます」
ヴィレムが短く言う。
キナリと共に前へ出た。
再び海漩竜〈アビスオフィリアン〉は長い体をうねらせ、港の沖で鎌首をもたげる。
巨大な顎が開き、海水が渦のように集まり始めていた。
「また、来るぞ!」
前線の誰かが叫ぶ。
次の瞬間、海水の塊が砲弾のように港へ放たれた。
「フィー!」
「はい!」
フィリアはすぐに詠唱へ入る。
「グレイシャル・ウォール!」
氷の壁が港の前に立ち上がる。
同時にエレナが地面に魔力を叩き込む。
「ボルカ・スタンプ!」
隆起した岩壁が重なる。
やはり、海水の衝撃は凄まじかった。
氷は砕け、岩壁も粉々に砕け散る。
それでも威力は削がれ、衝撃は港の建物をかすめる程度で止まった。
「助かった……!」
誰かが叫ぶ。
その隙に、ヴィレムが走った。
海面近くまで踏み込み、跳ぶ。
鋭い剣閃が海漩竜の首元へ叩き込まれる。
──ガンッ!
硬い金属を叩いたような音。
刃は弾かれた。
「……硬い」
ヴィレムは顔を顰め、すぐに距離を取る。
その後方でアルトが声を上げた。
「やっぱりだ! 鱗が鎧みたいになってる!」
魔物図鑑を開きながら叫ぶ。
「顔から顎の装甲が薄い! そこなら揺らせるかもしれない!」
「了解」
ヴィレムが短く返す。
だが海漩竜は止まらない。
巨大な体をうねらせ、港へ迫る。
「バリスタ準備!」
リヴァナが後方から叫ぶ。
港の奥で、大型の弩が組み上げられていく。
本来は、大型の海の魔物を退治するために使う、バリスタ。海漩竜に効果があるかは分からない。
その間にも戦闘は続いた。
フィリアとエレナは攻撃を防ぎ、
アルトは分析を続ける。
ヴィレムとキナリは前線で海漩竜を引き付けた。
だが──
圧倒的だった。
咆哮をあげた後、海漩竜が尾を振るう。
港の倉庫が一つ、粉々に吹き飛んだ。
「まずい……!」
その時だった。
「バリスタ、装填完了!」
リヴァナの声が響く。
巨大な矢が海漩竜へ向けられる。
「撃て!」
轟音と共に矢が放たれた。
バリスタが海漩竜の顎を僅かにかすめた。
鱗に弾かれ、大きな傷にはならない。
だが──
海漩竜の巨体が僅かに揺らいだ。
少しだけ海漩竜が怯んだが、身体を震わせすぐさま暴れ始める。
尾を払い、水の刃が多数町へと向かう。
その内の一撃がリヴァナへと向かう。
「グレイシャル・ウォール!!」
フィリアはいつもより短めの詠唱で、リヴァナの前に壁を作る。
でなければ間に合わない。
だが、水の刃は容赦なく叩きつけられる。
氷壁は粉々に砕け散った。
「……!」
その瞬間。
「滅閃……!」
鋭い刃光が走る。
ヴィレムのナイフが水の刃を切り裂き、衝撃を相殺した。
間一髪だった。
ヴィレムはリヴァナを引き寄せ、後方へと跳ぶ。
「……すまない」
「いえ。今、貴方に倒れられては困りますから」
リヴァナの言葉に、ヴィレムはわずかに笑った。
だがすぐに、港の市街地へと視線を向ける。
先程の攻撃で建物が倒壊していた。
瓦礫の中から人々の悲鳴が上がる。
その中に、見覚えのある人物の姿があった。
柑子色の髪。眼鏡の女医。
レイだ。
彼女は迷いなく瓦礫の中へ踏み込み、倒れた少年の元へ膝をつく。
ヴィレムは遠目にも、その傷の深さが分かった。
──助からない。
そう思った、次の瞬間だった。
橙色の光が少年の体を包み込む。
傷が、消えていく。
少年はゆっくりと目を開いた。
……奇跡だった。
◇
一方、港に1番近い市街地。
海漩竜が現れる、数刻前の出来事────
柑子色のボブヘアに、眼鏡をかける、しなやかな体躯の女性。女医のレイは、買い出しに港まで足を運んでいた。
大したことでは無いが、備品を切らした彼女は、昼休みに町に出ていた。
港が少し騒がしい。
近くにいた子供が声を上げる。
「お宝探しの船が戻ってきた!」
レイは思わず「宝……?」とぼそっと声が出る。
近くにいた子供が驚いた様子で、
「あの離島にお宝があるんだって。3日くらい前に出た船が帰ってきたんだ」
「……そう」
レイは特に気にせず、返事をする。
少しだけその言葉が気になった。
3日前。お忍びで旅をしている一国の姫に医療費を請求した日。
「まさかね」
彼女はそう呟き。
備品の買い出しのついでに、食料品を見ていた。
その最中。
外が騒がしくなった。
きっと、大物が釣れたのだろう。
町の人が騒いでいるのだから。
そう気に止めず、買い物を続ける。
だが、騒ぎ声は悲鳴へと変わる。
やがて大きな破壊音が鳴り響く。
外に出ると、未だかつて見たことの無い大きさの海蛇が港に佇む。
『面倒だ』そう思って、崖上の診療所に戻ろうとした時。
自分が出てきた店の隣にあった建物が、水の刃によって倒壊する。
近くにいた自警団の団員が、巻き込まれた人の安否を確認する。
怪我人数名。
瓦礫に埋もれ、出血が止まらない少年。
少年の親だろうか、名前を叫んでいる。
意識のない少年。致命傷の怪我と傷。
────死ぬ。
レイの呼吸は浅くなった。
嫌な予感がする。
……また人が死ぬ。自分の前で。
レイは、泣き叫ぶ少年の親らしき人物の元へと走る。
「退け!」
レイは少年の心音を聞く。
怪我を瞬時に診る。
「死ぬな」
ただ、許せなかった。自分の目の前で、医者である自分の目の前で手を尽くせずに人が死ぬのが。
「致命傷以外は安全な場所に運べ! いいから!」
いつも冷静な彼女ではあるが、救急の時だけは口調が少しだけ荒くなる。
そして、一呼吸だけ大きく吸い込んで。
少年の体の上に自分の手を添えた。
すると、橙色の光が少年の体を包み込む。
やがて傷が癒え、少年は意識を取り戻した。
「あれ……」
少年はきょろきょろと辺りを見渡す。
親は彼に抱きつく。
……一命は取り留めた。
「動けるなら早く逃げなさい」
レイがそういうと、親子は頭を下げて避難した。
◇
その様子をヴィレムはたまたま視界の端に捉える。
一瞬で死人も同然の少年が生き返る。
まさに奇跡。
刹那──
海漩竜はまた動き出す。
巨体をうねらせ、怒りをぶつけるように海面を叩く。
巻き上がった水が渦となり、再び港へと向けられる。
「また来るぞ!」
前線の声が響く。
剛腕のキナリの一撃も流石に弾かれる。
「うわぁ〜 “うで”が“びりびり”です〜」
バリスタでも止めきれない。
鱗は硬く、決定打がない。
長引けば────町がもたない。
「フィリア! 少し下がりますわよ!」
エレナが叫ぶ。
だがフィリアは動かなかった。
胸が締め付けられる。
どうしてだろう。
……どうして、海漩竜はこんなに怒っているのだろう。
町の人に何かされたから……?
彼女の中の疑念が、静かにフィリアの中で渦巻いていた。
そして、胸元のブローチが微かに震える。
淡く空色の光を纏って。
フィリアの胸の奥に、激しい感情が流れ込んできた。
怒り。
……違う。
苛立ち。
それも違う。
もっと根源的な────
『拒絶』
冷たい海の底を侵されたような、
耐え難いほどの不快感。
聖域を踏み荒らされた主が、
それを追い払おうとするような衝動。
「……っ」
フィリアは息を呑む。
海漩竜は、暴れているのではない。
追い払おうとしていた。
それが、頭の奥に流れ込んできた、海漩竜の感情。
「……どうして……」
思わず声が漏れる。
ただ暴れているのではない。
苦しんでいたのだ。
「フィリア……?」
エレナが呼ぶ。
だがフィリアはゆっくりと前へ出た。
「フィー危ないです」
ヴィレムの声が飛ぶ。
でも、フィリアは振り返らない。
ただ海漩竜を見つめたまま、小さく言う。
「……少しだけ…………信じてください」
そして拳を握りしめる。
海漩竜が大きく鎌首をもたげる。
このままでは攻撃を受けてしまう。
その瞬間。
フィリアは一歩、さらに前へ出た。
これは賭け。
でも、彼女の中では少しだけ確信があった。
だから、逃げない。
彼女、魔力が胸元のブローチに引き寄せられるように流れ込む。
「ルーセント……!」
光が生まれる。
だが、それはいつもの光とは違っていた。
澄みきった輝き。
まるで氷の結晶が砕けたような、無数の煌めき。
その光が、海風に乗って広がる。
海漩竜の周囲にまとわりつく黒い魔力へ触れた瞬間──
それは雪のように溶けていった。
……海漩竜は静まった。
低く、静かな鳴き声を一つ残し、ゆっくりと近海へと戻っていく。
理由は分からない。
だが、去り際の海漩竜からは、先ほどまでの負の感情は感じられなかった。
やがて港を包んでいた白い霧が、すっと晴れていく。
遠くで鳥の鳴き声が戻る。
空はいつの間にか晴れ渡り、
陽の光が海に白い輝きを取り戻させていた。
──港町〈グランツ〉は、再び本来の静けさを取り戻した。
◇
──海漩竜の騒動が落ち着き、町の人々が戻り始めた頃。
リヴァナ率いる自警団『ダイダロス』は、フィリア達の元へとやって来た。
「離島の件に続き、助かった。町の自警団として礼を言うよ」
そう言って、リヴァナは一行へ深く頭を下げる。
「リヴァナさん、頭を上げてください」
フィリアは慌てた様子で言った。
「ボク達も、この町に助けられています。そんな……お礼を言われるようなことでは」
その言葉に、リヴァナは少しだけ笑う。
「そういうわけにはいかないさ。町を守るのは私達の役目だが、今回ばかりは手に余った」
そして腕を組み、少しだけ肩をすくめた。
「正直、あのままじゃ港ごと吹き飛んでいたかもしれない」
リヴァナは改めてフィリアを見る。
「だからこれは、町を代表しての礼だ」
そう言って、リヴァナはフィリアに手を差し出す。
フィリアは一瞬だけ驚いた表情を見せた後、その手をしっかりと握り返した。
「次は、穏やかな海を見せたい」
リヴァナは少し肩をすくめる。
「今日みたいな騒ぎじゃなくてな。また来る時は、特等席でグランツの海を見せてやる」
彼女は逞しさと大人の余裕を感じさせる笑顔を浮かべた。
「はい。楽しみにしています」
フィリアも柔らかく微笑む。
「それじゃ、宿屋に戻ろうか」
アルトはそう切り出す。
フィリア達は、宿屋へと踏み出した時、リヴァナはヴィレムに声をかける。
リヴァナは腕を組み、小恥ずかしそうにヴィレムを見る。
「さっきは助かった。礼を言うよ」
「いえ。あの状況では当然です」
あっさりと返される。
少しだけ間が空いた。
リヴァナは、ふっと笑う。
「……あんた、随分と格好良いじゃないか」
ヴィレムは少しだけ首を傾げた。
「そうでしょうか」
そして、何でもないことのように言う。
「私は一生フィーに仕える身ですから」
その言葉を聞いて。
リヴァナは数秒だけ黙り込んだ。
やがて肩をすくめる。
「……ああ、なるほど」
小さく笑う。
「これは勝てないな」
ヴィレムは穏やかな笑みを浮かべ、軽く会釈する。
そしてその場を後にした。
「姉御には俺たちがいるぜ」
巨漢の男、自警団『ダイダロス』団員のイーサンが後ろから声をかける。
「そーだ! 姉御には俺たちがついてるぜ!」
他の団員達も察したように、後ろから声を上げる。
「…………あんた達」
リヴァナは思わず苦笑する。
「姉御! 今日は飲むぞ!」
リヴァナは一度息を吐き、胸を撫で下ろす。
そして再び胸を張った。
「何言ってんだ! 町の復興が先だ! やるぞ、あんた達!!」
「それでこそ、姉御だー!!」
いつもの掛け声が港町に響く。
こうして、自警団『ダイダロス』は再び動き出した。
港町もまた、少しずついつもの姿へと戻っていく。
◇
遠く、海を見下ろす崖の上。
その様子を、ただ一人の影が眺めていた。
海漩竜は静まり、ゆっくりと海へ帰っていく。
「……ふふ」
ラズベリー色の髪を持つ女性の妖艶な笑み。
白い霧が晴れ、港町に光が戻る。
その光景をしばらく眺めた後──
影は踵を返した。
「良いものを見せていただきましたわ」
それだけ呟き、静かにその場を去っていった──
