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3章「白濤の港町」

レイに医療費を返すためトレジャーハントに参加したフィリア達は、激戦の果てに、港町〈グランツ〉に無事生還する。
港から宿屋に戻ろうとした時、白い海〈ブラン海〉に『海漩竜〈アビスオフィリアン〉』が出没。
港町グランツは被害に巻き込まれる。


 作戦は決まった。

 完璧なものではない。
 むしろ、できることを並べただけの作戦だ。

 それでも──
 やるしかない。

「行きます」

 ヴィレムが短く言う。
 キナリと共に前へ出た。

 再び海漩竜〈アビスオフィリアン〉は長い体をうねらせ、港の沖で鎌首をもたげる。
 巨大な顎が開き、海水が渦のように集まり始めていた。

「また、来るぞ!」

 前線の誰かが叫ぶ。

 次の瞬間、海水の塊が砲弾のように港へ放たれた。

「フィー!」
「はい!」

 フィリアはすぐに詠唱へ入る。
「グレイシャル・ウォール!」

 氷の壁が港の前に立ち上がる。
 同時にエレナが地面に魔力を叩き込む。

「ボルカ・スタンプ!」
 隆起した岩壁が重なる。

 やはり、海水の衝撃は凄まじかった。
 氷は砕け、岩壁も粉々に砕け散る。

 それでも威力は削がれ、衝撃は港の建物をかすめる程度で止まった。

「助かった……!」

 誰かが叫ぶ。

 その隙に、ヴィレムが走った。
 海面近くまで踏み込み、跳ぶ。
 鋭い剣閃が海漩竜アビスオフィリアンの首元へ叩き込まれる。

 ──ガンッ!

 硬い金属を叩いたような音。
 刃は弾かれた。

「……硬い」

 ヴィレムは顔を顰め、すぐに距離を取る。
 その後方でアルトが声を上げた。

「やっぱりだ! 鱗が鎧みたいになってる!」
 魔物図鑑を開きながら叫ぶ。

「顔から顎の装甲が薄い! そこなら揺らせるかもしれない!」
「了解」

 ヴィレムが短く返す。
 だが海漩竜アビスオフィリアンは止まらない。

 巨大な体をうねらせ、港へ迫る。

「バリスタ準備!」
 リヴァナが後方から叫ぶ。
 港の奥で、大型の弩が組み上げられていく。
 本来は、大型の海の魔物を退治するために使う、バリスタ。海漩竜アビスオフィリアンに効果があるかは分からない。

 その間にも戦闘は続いた。

 フィリアとエレナは攻撃を防ぎ、
 アルトは分析を続ける。

 ヴィレムとキナリは前線で海漩竜アビスオフィリアンを引き付けた。

 だが──

 圧倒的だった。
 咆哮をあげた後、海漩竜アビスオフィリアンが尾を振るう。
 港の倉庫が一つ、粉々に吹き飛んだ。

「まずい……!」

 その時だった。

「バリスタ、装填完了!」

 リヴァナの声が響く。
 巨大な矢が海漩竜アビスオフィリアンへ向けられる。

「撃て!」

 轟音と共に矢が放たれた。
 バリスタが海漩竜アビスオフィリアンの顎を僅かにかすめた。
 鱗に弾かれ、大きな傷にはならない。
 だが──
 海漩竜アビスオフィリアンの巨体が僅かに揺らいだ。

 少しだけ海漩竜アビスオフィリアンが怯んだが、身体を震わせすぐさま暴れ始める。

 尾を払い、水の刃が多数町へと向かう。
 その内の一撃がリヴァナへと向かう。

「グレイシャル・ウォール!!」
 フィリアはいつもより短めの詠唱で、リヴァナの前に壁を作る。
 でなければ間に合わない。

 だが、水の刃は容赦なく叩きつけられる。
 氷壁は粉々に砕け散った。

「……!」

 その瞬間。

「滅閃……!」

 鋭い刃光が走る。

 ヴィレムのナイフが水の刃を切り裂き、衝撃を相殺した。

 間一髪だった。
 ヴィレムはリヴァナを引き寄せ、後方へと跳ぶ。

「……すまない」
「いえ。今、貴方に倒れられては困りますから」

 リヴァナの言葉に、ヴィレムはわずかに笑った。

 だがすぐに、港の市街地へと視線を向ける。
 先程の攻撃で建物が倒壊していた。

 瓦礫の中から人々の悲鳴が上がる。

 その中に、見覚えのある人物の姿があった。

 柑子色の髪。眼鏡の女医。
 レイだ。

 彼女は迷いなく瓦礫の中へ踏み込み、倒れた少年の元へ膝をつく。
 ヴィレムは遠目にも、その傷の深さが分かった。

 ──助からない。

 そう思った、次の瞬間だった。
 橙色の光が少年の体を包み込む。

 傷が、消えていく。
 少年はゆっくりと目を開いた。

 ……奇跡だった。

 一方、港に1番近い市街地。
 海漩竜アビスオフィリアンが現れる、数刻前の出来事────

 柑子色のボブヘアに、眼鏡をかける、しなやかな体躯の女性。女医のレイは、買い出しに港まで足を運んでいた。

 大したことでは無いが、備品を切らした彼女は、昼休みに町に出ていた。

 港が少し騒がしい。
 近くにいた子供が声を上げる。

「お宝探しの船が戻ってきた!」

 レイは思わず「宝……?」とぼそっと声が出る。
 近くにいた子供が驚いた様子で、

「あの離島にお宝があるんだって。3日くらい前に出た船が帰ってきたんだ」
「……そう」

 レイは特に気にせず、返事をする。
 少しだけその言葉が気になった。
 3日前。お忍びで旅をしている一国の姫に医療費を請求した日。

「まさかね」

 彼女はそう呟き。
 備品の買い出しのついでに、食料品を見ていた。

 その最中。
 外が騒がしくなった。

 きっと、大物が釣れたのだろう。
 町の人が騒いでいるのだから。
 そう気に止めず、買い物を続ける。

 だが、騒ぎ声は悲鳴へと変わる。
 やがて大きな破壊音が鳴り響く。

 外に出ると、未だかつて見たことの無い大きさの海蛇が港に佇む。

 『面倒だ』そう思って、崖上の診療所に戻ろうとした時。
 自分が出てきた店の隣にあった建物が、水の刃によって倒壊する。

 近くにいた自警団の団員が、巻き込まれた人の安否を確認する。
 怪我人数名。
 瓦礫に埋もれ、出血が止まらない少年。
 少年の親だろうか、名前を叫んでいる。

 意識のない少年。致命傷の怪我と傷。
 ────死ぬ。

 レイの呼吸は浅くなった。
 嫌な予感がする。
 ……また人が死ぬ。自分の前で。

 レイは、泣き叫ぶ少年の親らしき人物の元へと走る。

「退け!」

 レイは少年の心音を聞く。
 怪我を瞬時に診る。

「死ぬな」

 ただ、許せなかった。自分の目の前で、医者である自分の目の前で手を尽くせずに人が死ぬのが。

「致命傷以外は安全な場所に運べ! いいから!」

 いつも冷静な彼女ではあるが、救急の時だけは口調が少しだけ荒くなる。

 そして、一呼吸だけ大きく吸い込んで。
 少年の体の上に自分の手を添えた。

 すると、橙色の光が少年の体を包み込む。
 やがて傷が癒え、少年は意識を取り戻した。

「あれ……」

 少年はきょろきょろと辺りを見渡す。
 親は彼に抱きつく。
 ……一命は取り留めた。

「動けるなら早く逃げなさい」

 レイがそういうと、親子は頭を下げて避難した。

 その様子をヴィレムはたまたま視界の端に捉える。
 一瞬で死人も同然の少年が生き返る。
 まさに奇跡。

 刹那──
 海漩竜アビスオフィリアンはまた動き出す。

 巨体をうねらせ、怒りをぶつけるように海面を叩く。
 巻き上がった水が渦となり、再び港へと向けられる。

「また来るぞ!」

 前線の声が響く。

 剛腕のキナリの一撃も流石に弾かれる。
「うわぁ〜 “うで”が“びりびり”です〜」

バリスタでも止めきれない。
鱗は硬く、決定打がない。

長引けば────町がもたない。

「フィリア! 少し下がりますわよ!」

 エレナが叫ぶ。
 だがフィリアは動かなかった。

 胸が締め付けられる。
 どうしてだろう。

 ……どうして、海漩竜アビスオフィリアンはこんなに怒っているのだろう。
 町の人に何かされたから……?
 彼女の中の疑念が、静かにフィリアの中で渦巻いていた。

 そして、胸元のブローチが微かに震える。
 淡く空色の光を纏って。

 フィリアの胸の奥に、激しい感情が流れ込んできた。

 怒り。

 ……違う。

 苛立ち。

 それも違う。

 もっと根源的な────

 『拒絶』

 冷たい海の底を侵されたような、
 耐え難いほどの不快感。

 聖域を踏み荒らされた主が、
 それを追い払おうとするような衝動。

「……っ」

 フィリアは息を呑む。

 海漩竜アビスオフィリアンは、暴れているのではない。
 追い払おうとしていた。

 それが、頭の奥に流れ込んできた、海漩竜アビスオフィリアンの感情。

「……どうして……」

 思わず声が漏れる。
 ただ暴れているのではない。
 苦しんでいたのだ。

「フィリア……?」

 エレナが呼ぶ。
 だがフィリアはゆっくりと前へ出た。

「フィー危ないです」
 ヴィレムの声が飛ぶ。
 でも、フィリアは振り返らない。

 ただ海漩竜アビスオフィリアンを見つめたまま、小さく言う。

「……少しだけ…………信じてください」

 そして拳を握りしめる。

 海漩竜アビスオフィリアンが大きく鎌首をもたげる。
 このままでは攻撃を受けてしまう。

 その瞬間。
 フィリアは一歩、さらに前へ出た。

 これは賭け。
 でも、彼女の中では少しだけ確信があった。
 だから、逃げない。
 彼女、魔力が胸元のブローチに引き寄せられるように流れ込む。

「ルーセント……!」

 光が生まれる。
 だが、それはいつもの光とは違っていた。

 澄みきった輝き。
 まるで氷の結晶が砕けたような、無数の煌めき。
 その光が、海風に乗って広がる。

 海漩竜アビスオフィリアンの周囲にまとわりつく黒い魔力へ触れた瞬間──
 それは雪のように溶けていった。

 ……海漩竜アビスオフィリアンは静まった。

 低く、静かな鳴き声を一つ残し、ゆっくりと近海へと戻っていく。

 理由は分からない。
 だが、去り際の海漩竜アビスオフィリアンからは、先ほどまでの負の感情は感じられなかった。

 やがて港を包んでいた白い霧が、すっと晴れていく。

 遠くで鳥の鳴き声が戻る。

 空はいつの間にか晴れ渡り、
 陽の光が海に白い輝きを取り戻させていた。

 ──港町〈グランツ〉は、再び本来の静けさを取り戻した。

 ──海漩竜アビスオフィリアンの騒動が落ち着き、町の人々が戻り始めた頃。

 リヴァナ率いる自警団『ダイダロス』は、フィリア達の元へとやって来た。

「離島の件に続き、助かった。町の自警団として礼を言うよ」

 そう言って、リヴァナは一行へ深く頭を下げる。

「リヴァナさん、頭を上げてください」

 フィリアは慌てた様子で言った。

「ボク達も、この町に助けられています。そんな……お礼を言われるようなことでは」

 その言葉に、リヴァナは少しだけ笑う。
「そういうわけにはいかないさ。町を守るのは私達の役目だが、今回ばかりは手に余った」

 そして腕を組み、少しだけ肩をすくめた。
「正直、あのままじゃ港ごと吹き飛んでいたかもしれない」

 リヴァナは改めてフィリアを見る。

「だからこれは、町を代表しての礼だ」

 そう言って、リヴァナはフィリアに手を差し出す。
 フィリアは一瞬だけ驚いた表情を見せた後、その手をしっかりと握り返した。

「次は、穏やかな海を見せたい」

 リヴァナは少し肩をすくめる。

「今日みたいな騒ぎじゃなくてな。また来る時は、特等席でグランツの海を見せてやる」

 彼女は逞しさと大人の余裕を感じさせる笑顔を浮かべた。

「はい。楽しみにしています」

 フィリアも柔らかく微笑む。

「それじゃ、宿屋に戻ろうか」
 アルトはそう切り出す。
 フィリア達は、宿屋へと踏み出した時、リヴァナはヴィレムに声をかける。

 リヴァナは腕を組み、小恥ずかしそうにヴィレムを見る。

「さっきは助かった。礼を言うよ」
「いえ。あの状況では当然です」

 あっさりと返される。
 少しだけ間が空いた。
 リヴァナは、ふっと笑う。

「……あんた、随分と格好良いじゃないか」

 ヴィレムは少しだけ首を傾げた。
「そうでしょうか」

 そして、何でもないことのように言う。

「私は一生フィーに仕える身ですから」

 その言葉を聞いて。
 リヴァナは数秒だけ黙り込んだ。

 やがて肩をすくめる。

「……ああ、なるほど」

 小さく笑う。

「これは勝てないな」

 ヴィレムは穏やかな笑みを浮かべ、軽く会釈する。
 そしてその場を後にした。

「姉御には俺たちがいるぜ」

 巨漢の男、自警団『ダイダロス』団員のイーサンが後ろから声をかける。

「そーだ! 姉御には俺たちがついてるぜ!」
 他の団員達も察したように、後ろから声を上げる。

「…………あんた達」
 リヴァナは思わず苦笑する。

「姉御! 今日は飲むぞ!」

 リヴァナは一度息を吐き、胸を撫で下ろす。
 そして再び胸を張った。

「何言ってんだ! 町の復興が先だ! やるぞ、あんた達!!」

「それでこそ、姉御だー!!」

 いつもの掛け声が港町グランツに響く。

 こうして、自警団『ダイダロス』は再び動き出した。
 港町グランツもまた、少しずついつもの姿へと戻っていく。

 遠く、海を見下ろす崖の上。
 その様子を、ただ一人の影が眺めていた。

 海漩竜アビスオフィリアンは静まり、ゆっくりと海へ帰っていく。

「……ふふ」
 ラズベリー色の髪を持つ女性の妖艶な笑み。

 白い霧が晴れ、港町グランツに光が戻る。

 その光景をしばらく眺めた後──
 影は踵を返した。

「良いものを見せていただきましたわ」

 それだけ呟き、静かにその場を去っていった──