1章「精霊の森」- プロローグ
第0話 「 はじまり - The story of the master and servant. - 」
「行ってまいります」
少年にも見えるような、白髪碧眼の少女が元気に告げる―
5年前―
太陽が登り始め、空が白み始める頃の時間。私は主である王女の様子を伺いに部屋へ訪れた。
「起きていたのですね。フィリア様」
フィリアと呼ばれる主は既に起き上がり、ベッドに座り空を眺めていた。絹のように繊細で美しいふんわりとした白髪。毛先には空を映したような薄い水色のグラデーション。体つきは華奢でネグリジェを着ている所から、少女だということが伺える。その少女は10代前半くらいの年齢だが少し幼く見えた。その瞳は晴れ渡った空のように澄んだ水色と、ラベンダー色を混ぜ合わせたような、宝石のような繊細な色をしている。
彼女はフィリア様。蒼き星〈アステラ〉の西部に位置する大陸、西の国〈ノインシュテルン〉の第一王女だ。最もこの国の王女は彼女1人だけで、大切に育てられてきた、いわいる箱入り娘だ。
「うん。おはよう、ヴィレム」
「おはようございます。お早いお目覚めですね」
「覚めちゃった。 ……ヴィレム」
「はい、いかが致しました?」
王女に名前を呼ばれた少年、彼の名はヴィレム。西の国のフィリア王女の従者。少し橙色かがった癖のある茶髪に、翡翠色の瞳。年齢は10代半ばほど。
私は5年ほど前から、訳あって彼女に仕えている。出会った時のフィリア様は5歳。私は9歳だった。
「この空、私がいつも見ている夢と同じ色してるの」
「とても幻想的な空ですね」
「いつか自分の目で…… あの場所を見たいな。不思議な夢、あの人は…あの場所は何処にあるのだろう」
フィリア様は、薄明の空を眺めながらそう言葉を発した。
*
あの夢― それはフィリアが幼い頃から頻繁に見るという不思議な夢。
まるで世界の果てにあるような幻想的な世界。そこにはまるで空を地に映した様な空色の可憐な花が咲き乱れ、明け方の白んだ空に僅かに光る星。その場所で、見事な程に真っ直ぐで銀色の絹の糸のような、白髪を持った少女は決まって告げる。
『またいつか会えるなら…… あなたと…… あの場所で会いたい』
『待っています』
『あの場所で。ずっと……信じています』
目元は見えない。彼女はどのような顔をしているのだろうか。ただ分かるのは声色から何処か哀しさを秘めつつ、流れ星のような美しい涙を流しながら手を差し出している事。
最初はただの夢だと思っていた。だがフィリアは日に日にその夢を見る機会が増え、自分に何か問いかけているように感じたのだった。そして、視界いっぱいに広がる蒼の海のような、とても美しいその世界を自分の目で見たいと思うようになったのだった。
*
私は、幼い頃からフィリアの傍付きだ。従者として傍付きとして行動を共にすることは日常的。実際、何度目だろうかと思うほど聞く話だった。だが、その話をする時の彼女が好きだった。目を輝かせ夢を見るような表情はとても―
ヴィレムは穏やかな笑みで、フィリアに返す。
「フィリア様は……ご自身の目でと仰いましたね。それはその景色を探しに旅に出るということですか? 」
刹那。その一言で少女に衝撃が走る―
「そうか…… そうだよね! どうして気が付かなかったんだろう!」
フィリア様の瞳はいつもより一層は輝いていた。登り始めた陽の光を受け瞳に空の色を映すして。そして、立ち上がり窓を開けて振り向く―
「ヴィレム! 私、自分の目であの風景を見たい! 旅に出て、自分でこの国を…… 世界を知りたい!」
薄明の空と陽の光を受けた彼女の髪はとても輝いて見える。それに引けを取らない笑顔をヴィレムに向けた。
ヴィレムは、今まで朝の気持ちのいい風に黄昏て穏やかに話していたフィリアの気持ちの変わりように思わず笑っていた。
「ふふっ、それならば、国王陛下を説得しなければなりませんね」
「うん。あとね、ヴィレム。私に戦い方を教えてください」
「私にですか? 近衛兵などではなく?」
「はい。ヴィレムにお願いしたいのです。ヴィレムの戦い方、風みたいでかっこいいから!」
ヴィレムは少しだけ暗い顔をする。何かを含んだような顔。悟られぬようにしていたが彼の目元にはその感情が現れていた。しかしその事は彼女には分からない。
「フィリア様には魔術があるのでは?」
「私は私のことを守れるように、最低限のことはしたい。ヴィレムに守ってばかりなのも気になるから」
「貴方は守られて当然の方ですがね」
「うぅ…… だとしてもいいの、何かあった時のためにでいいんだ。私は強くなりたいから」
「わかりました。では。護身術はお教え致しましょう。私の戦い方は教えられません」
「うん、ありがとう。ヴィレム。よろしくお願いします」
話しているうちに朝日が差し込んでくる。足止めをしてしまったフィリアはヴィレムを気にして問う。
「ヴィレム、朝のお仕事は?」
「ええと、あと1時間位からです。フィリア様はいつもよりお早いですね、再びお休みになられますか?」
「ううん、もう覚めちゃった。ヴィレム、時間あるかな?」
フィリア様は、自分が旅に出るためにはどうしたらいいか、彼女の頭の中はそれでいっぱいの様子だった。決めずにはいられない…そんな希望を心に秘めているそんな気がした。
「朝のお仕事まででしたら。ええと、作戦会議でしょうか?」
「流石ヴィレム!そうだよ、お父様を説得する為のプランを考えようと思って」
「ふふ…… かしこまりました。ではお茶をお持ちします。先に進めていてくださいまし」
私はやる気の希望に満ち、目を輝かせているフィリアを見て自分で喜ばしい気持ちになっていた。
彼女は面白い。基本的に落ち着いていて穏やかでいると思いきや、目の前のことに目を輝かせ子供のように喜ぶ。かと思えば、時々何かを悟ったように人の心に寄り添うように話す。私はそんなフィリア様が好きだった。そして慕っているのだ。
◇
そして数日後、フィリア様は父である国王アルバート陛下に思いを伝えることにした。大切な話。フィリア様は父を思いを伝えるために計画を立て、話し合いの場を儲けた。
その日までに考えられることは全て考えた。旅に出るまでの事も、先の事も。私は従者としてフィリア様を後ろから見守る。
場所は、水路に流れる自が美しく光を放ち、草花が可憐に揺れる中庭のガゼボ。ヴィレムと侍女のローズとマリーの手を借りつつ、お茶会として父親であるアルバート王を招くことにした。
フィリアの今日の服装は、ふわりとしたシルエットのミディレングスのジャンパースカート。ボウタイブラウスには、いつも身につけている空色の宝石が輝くブローチ。このブローチは幼い頃からお守りのように身につけている、大切なものだ。
「お父様、お忙しい中、御足労頂き感謝致します」
「礼には及ばない、何か話しがあったのだろう」
「はい」
何かを見越したような発言。
フィリア様の父親でもある、ノインシュテルン国王アルバート様。彼はその厳格な性格で、公平な判断を下す。数年前まで内戦が耐えなかった、西の国をほとんど争いのない平和の国にしたとされる善王でもある。
スラリとした長身。枡花色の髪。前髪は、縹色の瞳を程よくちらつかせる程の長さ。鋭い瞳はいつ見ても背筋が凍るような緊張感を覚える。その瞳でフィリア様の心の内を見透かしているのだろうか。
「単刀直入に申しあげます。旅に出たいのです。自分の足でこの国を、世界を見たい。この目に刻みたいのです」
「お前は、ほとんど城外に出たことがないな」
フィリアはノインシュテルン唯一の後継者。国王アルバートと王妃ミレーヌの間にはフィリア以外の後継者は望めなかった。その為、社交界に出るまでは厳重な警備の中、あまり外に出ることも無く育ってしまったのだ。
「はい。ですから尚のこと、数年後この国を統べる立場になることを念頭に……」
「それで、真意はなんだ」
フィリア様は言いきれず、アルバートに不意をつかれる。フィリア様はいつも人の目を優しく見つめて、相手の声を聞く優しさを感じる話し方。一方、アルバート陛下は話の道ずしを読み解き諭す方であった。分かってはいたが、自分の意思を貫くために私と作戦会議をしていたのだ。それ程にアルバート陛下は思慮深い。
「王女として直接国を見て回りたいのです」
「他に何かあるだろう」
「……お父様はすごいですね、わかりました。笑わないでくださいね」
「真面目に話の場を設けているんだ、笑うはずがない」
フィリアは、自分が旅に出たいと思った一番の出来事を、全うな理由をぶつけ事を正当化させようとしていた。だがアルバートには見抜かれていた。思えば自分は城と言う大きな壁の中で身分も自身も守られ生きてきた。外に出たい気持ちを押し殺し、厳格な父には思いを伝えられないそんな日々を過ごしていた。
伝えるなら今、本心を明かすなら今。そんな気がして、偽りのない真っ直ぐな気持ちを父にぶつけた。
フィリア様は席から立ち上がって話し出した。いつもなら落ち着いて、立場を弁え、そんな突飛な行動には出ない人なのだが。
「夢を見るんです。昔から。誰かが私を呼ぶ夢です。青色の花が海のように空のように咲き誇る場所で」
「……」
「幼い頃からよく見る夢ですが、歳を重ねる旅にその夢も頻繁に見るようになりました」
「誰が、お前を呼んでいるのか?」
「分かりません。ですが、顔は見えませんが美しい白髪の少女が涙を流しながら手を伸ばすんです。なんだか夢のようには感じられなくて、夢を見る度にその場所はあるのでは無いか、その人はどこにいるのか…… そう思うようになりました」
「錯覚ではないか?」
「かもしれませんね。ですが、自分勝手かもしれませんが…… あの美しい場所が本当にあるなら、私を求めている誰かがいるなら、私はその場所と真実を求めて1歩踏み出したい」
「では、使いに探させる方は考えたか?」
「いいえ。私に訴えかけるような夢ですし、旅に出ることで自分でその光景を刻めると考えたら、私はいても立っても居られないくらい気持ちが込み上げてきて……」
フィリアは止まることなく、今まで内に秘めてきた事を必死に国王に伝えた。すると―
「もしかしたら、わたくしのご先祖さまに関係があるかもしれないわねぇ」
「へ?」
ひょこっと顔を出したのは、 ノインシュテルン王妃のミレーヌ。新雪のようなふつくしい白髪を持った穏やかな淑女。フィリアの母親である。
「ミレーヌ。隠れて聞いていたのか?」
「だって2人とも楽しそうにお話していらっしゃるのだもの、気になるではないですか。わたくしも気になりますわ」
「……おかあさま」
ミレーヌ王妃はおっとりとしていて少し天然だった。時々子供のような素振りも見せる。フィリアは真面目な話をしていたのに、そんな母の姿を真に受け拍子抜けしていた。ある意味、時々突飛な行動に出るのは母親譲りなのかもしれない。
「でもわたくしは寂しいですわ。フィリアちゃんが何処かに行ってしまうの、こうやって抱き付けないのも愛おしいわ…」
フィリア様の母親であるミレーヌ王妃は 、かなりフィリア様を鍾愛していた。決まって彼女に抱きついては頭を撫でる。幼い頃から好きな服を着させて楽しんでいたり、そんな人だった。
「お母様、まだ決まった訳では……」
「でも、アルバート様はもう心に決めておられますわよね?」
「え……?」
アルバートは目を閉じ、一拍おき答えた。
「あぁ、フィリア行ってきなさい。ただ条件がある。お前が15歳になること。それまでに勉学に励み全ての過程を終わらせる事。16歳にはデビュタントだ。よって期間は1年とする。そして、お前はこの国の王女。王族として成す義務がある事を肝に銘じろ」
「……!」
意外とあっさり許可が貰えた気がした。私は少し離れたところからフィリア様を見ていたが、とても嬉しそうにしているのが、あの時の朝のように目が輝いているのが見えた。
「ありがとうございます! あ! お父様。こちらは私が準備していた旅に出るまでの計画になります」
フィリアは嬉しさを含みながら少し慌て気味で、アルバート陛下に、今日までまとめてきた旅に出るまでの計画を渡す。
「なんだ、15歳で考えていたのか」
「はい。私はまだ10歳です。流石に自分を守るための術がございませんから、それまでに出来ることをして身を固めたいと。私なりにお父様の立場で考えてみたり、してみたのですが。それに王族ですから、それなりにしなければならない事もありますし」
「フィリアちゃん、成長したわねぇ。よしよし」
「……」
アルバートは資料に目を通す。そして……
「分かった。これを元に近いうちに私から詳細な条件を出す」
「! ありがとうございます! お父様!」
「お前は王族だ。色々と調整しなければ、旅には出れぬぞ。……精進なさい」
以外にもすんなりと決まってしまった。そう思う事もあったが、こうしてフィリア様は15歳を迎えれば、旅に出れる事を認められたのであった。
「そうと決まれば、すべきとこがあるだろう。早く行きなさい。私はミレーヌと話がある」
「はい!失礼します!」
アルバートはフィリアを席から外す。遠くから様子を伺っていたヴィレムがフィリアの元にやってきた。
自然にお辞儀をすると、失礼しますと告げフィリアの後ろを追いかけるが、
「ヴィレム、フィリアを頼んだぞ。それと、オレガノを呼べ」
去り際にアルバート陛下はそれだけ告げた。
オレガノ。彼女は子女長だ。ブロンドヘアと大きな丸眼鏡が特徴的な、最年長の侍女。ミレーヌ王妃の専属侍女でもあった。元はアルバート陛下の乳母で王宮でもベテラン且つ古株の侍女だ。
「勿論でございます。仰せのままに。オレガノ様も呼んでまいります」
ヴィレムは穏やかな笑みを返しその場を去る。
「ミレーヌ、お前謀ったな?」
「? なんのことでしょう?」
ミレーヌはいつもと変わりない、笑顔を返す。
「お前はいつでもそうやって笑顔で真意を隠す」
「……そうですわね。 ……正直私はフィリアが旅に出るのはよく思えませんでしたわ。あの子は記憶欠けていますし、生粋の箱入り娘ですから。それに、数少ない、白き一族〈ディアマ〉の末裔です。いつ命が狙われるか……」
白き一族。それは西の国に伝わる、古代種の一族。雪のように美しい白髪と空を映したような碧眼を持つ。その容姿から天使と呼ばれる事もある。現在はミレーヌの代を最後に純血のディアマはいなくなった。いわば希少種なのである。
「では何故……」
「フィリアは昔から外に憧れていましたわ。そしてわたくしも。今のこの国は、わたくしがフィリアくらいの時と比べとても平和です。これは貴方が掴んだものですわ。だからこそ、あの子には色んな経験をさせてあげたいのです。貴方はそう願って、この国を今の形にしたのですから」
「……そうだったな」
「あの子が居なくなってしまうのは寂しいですが…… フィリアの成長を願って、見送ってあげましょう」
◇
そして5年間、フィリア様は勉学と戦うための術を学ぶ。
白き一族(ディアマ)の血統として得意とする、氷魔法は母親であるミレーヌ王妃から。護身術は私から。魔法学や、王女としての教養も予定より早く学ぶことになった。
また、フィリア様は身体が華奢で童顔、髪色も珍しい色をしているため、男装して旅をすることになった。そのため、男性としての教養も同時に学ぶことになり、苦労されていた。
そんな中、男装する話を聞きつけたミレーヌ王妃は、フィリア様の服を仕立てさせ張り切っていた。白茶色のキャスケット、丁字色のジャケット。ハーリキンチェックのベストは、ヴィレムと侍女のローズとマリーがフィリアっぽい物を身につけていて欲しいとミレーヌ王妃に持ちかけ採用されたものだった。
◇
そして旅立ちの日―
春の半ば門出にふさわしい春の陽気は、フィリアは胸を膨らませていた。
旅に出たいと決断した5年前のあの日と似た、明けの空。ヴィレムが来る前に張り切って、自分で着替えまで済ませていた。
丸いシルエットが印象的なキャスケット、フィリアの華奢な体を隠すハーリキンチェックのベストと丁字色のジャケット。ベージュ色のハーフパンツに、動きやすいブーツ。できるだけ落ち着いた印象で準備してもらったが、所々に水色や青色の裏地や釦が着いているのは、母のこだわりだろうか。
出立前、フィリアはミレーヌ王妃に呼び止められた。
「フィリア、これを受け取ってくださる?」
パウダーブルーのスカーフ。角度でうっすらと六花のレース模様が見える、繊細な雰囲気のスカーフだった。
「わぁ、素敵なものをありがとうございます!」
「本当は、貴方にお渡しした服にフリルとか付けたかったのよ。そしたらね、オレガノに怒られちゃって……」
「あはは……」
その様子を後ろから私は見ていた。親と子の別れ、旅立ちとはこう言うものなのだろうか。そこにアルバート王から声がかかる。
「ヴィレム、貴様に言うことはあるまい」
「はい。存じております。フィリア様の従者、ヴィレム。命が尽きる時まで、王女を守ります」
ミレーヌ王妃はフィリアとの別れが惜しいのか、話し続けている。
「だからね、こういう小物だったら上品な物でも大丈夫かなぁって思って準備してもらったの。私からの餞別として受けとって」
「着けてみてもいいですか?」
「もちろんよ」
淡くて優しいパウダーブルーのスカーフは、フィリアの胸元を僅かに華やかにした。
「ちょっといいかしら」とミレーヌはフィリアへと手を伸ばす。ジャケットの襟に付けていた空色のブローチをスカーフの留め具として付け替えたのだ。
「こっちの方が素敵じゃないかしら……?」
「わぁ、流石お母様です。ありがとうございます!」
フィリアは満足そうに顔をほころばせた。ミレーヌはフィリアの肩に手を置き語った。
「これから大変な事もあると思うけど、その笑顔は忘れないでね。行ってらっしゃい、フィリア」
「もちろんです!」
フィリア様は元気に答えて、見送りに来てくれた、アルバート陛下、ミレーヌ王妃、その他の侍女や兵士に手を振った。そして―
「行ってまいります!」
少年にも見えるような、白髪碧眼の少女『フィリア』は元気に告げた―
かくして西の国の王女フィリアの旅は始まった。彼女とヴィレムの出会いの話は、また別のお話にて―