3章「白濤の港町」
第29話「 林道を駆けて - Thus Begins the Tumult of Glanz. - 」
フィリア達は東方にある『港町〈グランツ〉』を目指す。
3日間、馬車に乗せてもらい『スコルチア林道』の半分まで進んだ後、また3日かけ残り半分を自らの足で進むのであった。
「いたぁい……ですわ」
桃色の髪が特徴的な少女・エレナは、腰を少し曲げながら、必死の形相で林道を歩いていた。
花の街〈フルール〉で町長の娘として育ち、街案内にも慣れていた彼女だが、自然の道を長時間歩いた経験はほとんどない。
ぽつりぽつりと、無意識に嘆きの言葉を漏らし始めた。
「うぅ…… 脚が…… 脚が取れそうですわ……」
ここはスコルチア林道の中間地点──
つまり、馬車を降りて2日目。
フィリアたちは港町〈グランツ〉へと順調に進んでいたが、エレナの足取りはすでに限界に近かった。
「エレナ、無理しないでくださいね。痛いなら、ちょっと休みましょうか?」
フィリアが優しく声をかけると、エレナはフィリアの優しさに目を潤ませ僅かに震えていた。
……が、彼女達の少し後ろを歩いていたヴィレムが小声で呟いた。
「……さっきも、休まれましたが」
ヴィレムは貼り付けたような笑みで、毒を含んだような言葉を吐いた。
ヴィレムはエレナに対して、どこか容赦なかった。
実際、30分前に昼休憩を取ったばかりだった。
それでもエレナの疲労は抜けておらず、彼女は遠慮がちに林道の端にある並木に手をかけ、ゆっくり歩く。
そして、ちらりと皆の様子をうかがった。
「皆様……どうして、そんなに平然と歩いていらっしゃるのかしら……」
呟く声は小さく、でも悔しさがにじんでいた。
「私だって……街では誰よりも早く走れましたのよ? ……屋根の上だって、登ったことも……いえ、それはちょっと、内緒にしておきますわ……」
ぽつりぽつりと漏れる独り言に、フィリアがそっと笑みを浮かべる。
「エレナ、無理しないで。アルトさんの妹さん……メルフィさんのこともありますから……出来れば早く辿り着きたいのは確かです。でも、無理はよくありません……」
「……はい。ありがとうですわ。私、頑張りますわ……」
エレナは顔を伏せ、ふるふると震える脚を押さえながら小さな声で続けた。
「……今度の休憩は、お茶と……できればお菓子も……お願いしたいですわ……」
「お菓子……!!」
フィリアはティータイムと甘いものが好きだった。
思わず反応してしまったが、後ろからヴィレムが、
「フィー、おやつは3時です。貴方はお砂糖入りのお茶を嗜まれるのですから、間食はお控えください」
「うっ……」
フィリアの側近にしてお母さんなヴィレム。
笑って答えていたが、こういう時のヴィレムは半分怒っていたり、本気で言っていることが多い。
フィリアは思わず口を抑える。
そしてエレナは、ヴィレムの笑みの恐ろしさを知っている為、青ざめた。
「そ……そういえばダイエット中でしたわ……頑張って……歩かないとですわ! おほほ」
エレナ、苦し紛れの言い訳だった。
◇
日が傾き始めた頃。
今晩野宿をすれば明日の昼には港町に辿り着けそうなところまでやってきた。
そんな中、フィリアは珍しく生き物の気配を感じて、茂みを覗き込んだ。
花の街を出て以降、精霊の森〈フォレルの森〉は以前と比べて、どこか雰囲気が違っていた。
アルト曰く、動物が少ない。
日が沈みかけ、夕方の特有の寂しげな静けさの中、ヴィレムはピリピリとした空気を感じた。
「わ」
フィリアは驚いた。
茂みの中に蛇がいたのだ。
目が合い、硬直しているフィリア。
ヴィレムは茂みを覗きに屈むフィリアに気が付き、声をかける。
「フィー? いかが致しました?」
フィリアは少し気まずそうな顔で、振り返って、
「ごめんなさい。噛まれちゃった…………」
その言葉が落ちた瞬間、空気が凍りついた。
フィリアは驚いて硬直した一瞬で、蛇に噛まれてしまったようだ。
すかさずヴィレムは、フィリアを襲い森深くに身を隠そうとする蛇に、ナイフを投げつける。
そして、蛇を捕らえ、フィリアの元へ駆ける。
一瞬の出来事に、アルト、キナリ、エレナは状況に追いつけずにいたが、一拍置いてアルトが反応する。
そして、ヴィレムが仕留めた蛇を空き瓶に保管し、魔物図鑑を取り出し、蛇の特定を始める。
フィリアの膝上辺りに噛み跡があった。
色白な為、赤く血が滲み、際立って見えた。
ヴィレムはフィリアの右膝に口をつけた。
応急処置ではあるが、毒を吸い出して道端に吐き出す。
「こいつ、毒蛇〈ヴァイパー〉だ! ヴィレム君、急いで解毒しないと……! 高熱が出る……後遺症が残ると大変だ」
アルトはヴィレムが捕らえた蛇を特定した様だ。
流石、旅に慣れ、錬金術師として研究をしているだけはある。
彼は手持ちの薬を取り出し、応急で薬を生成し始める。
毒蛇ですの!? ああああ……私何か……」
エレナはヴィレムがフィリアの脚に口を着けた時、『美青年が少女の膝に口付けしている……!』と一瞬ドキッとし顔を赤らめていたが、フィリアが毒に侵されたと思考が追いつき、何も出来ずに焦り散らかしていた。
「……可能な範囲で毒は吸い出しましたが……フィー、お身体は……」
フィリアはヴィレムの腕の中で静かに目を瞑っていたが、見る見るう顔色が悪くなり、身体が熱く汗ばんでいく。
そして、微かに呼吸が辛そうに見えた。
「……大変だ。処置はしたけど、僅かに毒が回ってしまったみたいだね」
「……私は一足先に港町に向かいます。私の足なら半日あれば何とかなります。皆さんは、予定通りに」
「いや、僕も行くよ。例の医者なら診てくれるかもしれない。キナリ君とエレナさんはゆっくり予定通りに来てくれれば大丈夫だから」
「アルトさん、ありがとうございます」
アルトはついてきてくれるようだ。
ヴィレムが彼に礼を言うと、エレナもまた。
「いえ! 私も行きますわ! フィリアの一大事……何も出来ないのは嫌ですわ。足の痛みがなんですの!」
エレナは先程まで足が痛いと嘆いていたが、その場で治癒術と皆に歩行速度を上げる付与魔術を使った。
「エレナ様、ありがとうございます。無理のない範囲で着いてきてください」
ヴィレムはフィリアを担ごうとすると、
「ゔぃれむ……ごめんなさい……」
フィリアはか細い声で謝って、ヴィレムの手に触れた。
「誰にでもミスはあります。気を確かに。絶対に貴方を助けますから。……貴方はここで倒れていいお人ではありません」
「うん……」
フィリアはやや呼吸を荒らげつつも返事をした。
ヴィレムはフィリアをおぶって、地を蹴る。
それに続く、アルト、エレナ、キナリ。
ヴィレムは体力があり、足も早かった。
その為、アルトも驚いていたが、彼はしっかり着いてゆく。
当然、身体能力が桁外れのキナリも、いつもの和やかな笑顔で颯爽と追従。
エレナは体力が無いため、適度に休み、時にはキナリに運ばれつつ、精一杯走った。
そして一行は、夜通し走って港町へと向かった。
◇
明け方。日が登り始めた頃。
一行は港町へと辿り着く。
森を抜けた瞬間、湿った土の匂いが潮の香りに変わった。
目の前に広がったのは、崖に張りつくように連なる白い街。
弧を描くような湾岸に、明け方の陽の光を僅かに反射する海。
白壁の建物が、海に溶け込むように静かに光をまとっていた。
明け方の薄く曇った空の下、白壁はぼんやりと輝き、海にはその町並みがかすかに反射して白く見えた。
それが、港町に面する海『白き海〈ブラン海〉』と呼ばれる所以だった。
そして、夜通し休まずに森を抜けてきた一行には、まるで夢の中の景色のようにも見えた。
ヴィレムは、喉の奥で少々荒れた息を押し殺しながら、抱えたフィリアの体を支え直す。
やはり、フィリアを侵す毒は引くことも無く、彼女の身体は熱で汗ばんでいた。
「フィー、着きましたよ。あともう少しの辛抱です」
少し先、岬の先端にぽつりと建つ建物。
岩壁に連なるように建っている、町の建物とは雰囲気が異なる建物が見えた。
あれが病院だ。
ヴィレムはアルトに言われずとも直ぐに気がついた。
白壁と木の柱が印象的な、横に長く伸びる病院。
とがりすぎない三角屋根、大きな窓が並ぶその建物は、あまり西の国〈ノインシュテルン〉では見ない建築様式だったが、白木の落ち着いた建物は、どこか山の家のような温かみを漂わせている。
裏手には小さな菜園があり、明け方の陽の光を受けて柔らかく揺れていた。
にわかに吹いた潮風が、遠くその建物の木の匂いを運んできた。
助かるかもしれない──
そう思わせる、穏やかな空気がそこにはあって、一行はただ『間に合え』と祈るように足を踏み出した。
扉の前には、救急時に鳴らすベルがあった。
時刻は早朝5時。
医者は起きているだろうか、寝ていれば気がついてくれるだろうか。
ヴィレムは心の中で祈り、ベルを鳴らした。
