3章「白濤の港町」
第30話「 ベレスフォード診療所 - The Long Morning in the Port Town. - 」
フィリア達は港町〈グランツ〉まで後少しのところまで足を進めていた。
しかし、到着前日の夕刻。フィリアは突如として毒蛇〈ヴァイパー〉の毒に侵されてしまう。
ヴィレムはフィリアをおぶり、一行は林道を駆ける。
そして明け方、目的地へと到着する。
毒蛇〈ヴァイパー〉の毒に侵され、熱に魘されながら荒い呼吸を繰り返すフィリア。
ヴィレムは彼女を背負い、間に合えと願いながら、アルトが会いたがっていた医者の診療所のベルを鳴らした。
およそ30秒後。
玄関の明かりが灯り、扉が開いた。
「救急? ……何時だと思ってるのよ」
気怠そうに中から現れたのは、20代ほどの女性だった。
柑子色のショートボブに、今まで寝ていたと思われる黒いスリップ姿。
寝起きでぼんやりとした橄欖石〈ペリドット〉の瞳が、ヴィレムを睨みつける。
若い女性が現れたことで、ヴィレムは一瞬、場所を間違えたかと錯覚した。
機嫌も悪そうで、エレナは思わず身をすくめる。
ヴィレムとアルトも、出てきた女性を見て固まっていた。
それも無理はない。
その女性は、どこか妖艶な体つきをしていた。
ワンピース型の下着姿のまま扉を開けたため、豊かな胸元がどうしても目に入ってしまう。
否応なく視線を引き寄せるその姿は、強烈な印象を残した。
同性であるエレナが思わず顔を赤らめるほどには。
「何? 悪戯?」
女性はやや怒りながら問いかけてきた。
「いえ。彼女を……」
ヴィレムが『彼女を診てほしい』と言いかけた時、女性はフィリアに気付き、その首元へ手を当てた。
女性はフィリアの首元に触れると、眉をわずかに寄せた。
「なんで、このままにした?」
女性はややキレながら、扉を開けて。
「入りなさい。そこの茶髪の坊主と……白髪の優男は診察室へ。後ろのガキんちょは、入って適当に座ってなさい。眠いなら寝ろ」
女性はとても口が悪かった。
……と言うより、かなり上からものを言う。
怒ってはいるが、一行がなんだかしらの理由で休まず診療所を訪れたのを何となく察したようだ。
ヴィレム達は中に入る。
エレナとキナリは待合室と思われる椅子に掛け、ヴィレムとアルトは、医者に言われた通り診察室に入った。
◇
1時間くらい経つと、少し疲れた様子でヴィレムとアルトが診察室から出てきた。
エレナとキナリは、待合室の椅子にかけて待っていたが、キナリは気がつけば寝ていた。
エレナはフィリアが心配で眠気を耐えていた。
「ヴィレム様……フィリアは……」
「問題ありません。今は落ち着いて眠っています」
「そうですか……。ええと、あのお医者様はいかがでした?」
「す……凄かったですよ」
珍しくヴィレムは苦笑いして答えた。
すると女医も診察室から出てきて、一行に声を掛けた。
「あの子はもう大丈夫よ。明日の朝には返すわ。……と、もう6時なのね。あんた達は出ていきなさい。ここは宿じゃない。この時間なら宿屋も空いてるでしょう」
医者は腰に手を当てて強気で言ってきた。
「私だけ残ってもよろしいでしょうか? あの方は私の主でございます」
「駄目」
「ええ……」
女医の言うことは曲がりそうになかった。
ヴィレムは潔く諦めるしか無かった。
「分かりました。とりあえず、出直します。彼女をお願いします」
ヴィレム達は診療所を後にした。
外に出ると、日が登り海をきらきらと照らしていた。
徹夜した一行には、とても朝日が眩しかった。
そして、湾岸地形に囲まれた海は、青と反射した白が美しい宝石のようにも見えた。
振り返ると、診療所のエントランスに立て札があって『ベレスフォード診療所』と書かれていた。
フィリアを運んできた時は、薄暗く、また急いでいた為気が付かなかった。
ヴィレム達は朝一で宿屋を借りた。
そして、疲労は限界に達していたため、昼頃まで休むことになった。
アルト、エレナ、キナリが休む中、ヴィレムは置き手紙を残し外出した。
置き手紙には『自分はフィリアの元へ向かうこと』、『食材以外の物資の調達を頼むこと』を綴り、ヴィレムは食材を買い足しに、市場へと向かった。
そして、食材を揃えると、彼はベレスフォード診療所へと向かった。
◇
ヴィレムは診療所へ向かうと、外には老人が立っていた、木箱に野菜を詰めて玄関に置いている。
彼は気になり声を掛けた。
「おはようございます。つかぬ事をお聞きしますが……どうして、お野菜を?」
老人は一瞬キョトンとした顔を見せたが、話す頃には普通の表情に戻って、
「数年前に婆さんが世話になったんだよ。他の町医者には見つけられなかった病気が悪化して……もう終わりかと思った。でも先生は見事な腕前で治してくれたんだ。……あのねえちゃん先生、すっごく愛想悪いし、ぼったくるけど、腕は確かだ。こんな老いぼれ、返せる金も無いし、大した収入もない。だからこうして毎朝、食材を渡しに来てるんだ」
「そうでしたか。奥様も元気になられたようで、我が主もそんなお医者様に見ていただけて光栄です」
ヴィレムがそう答えると、老人は苦笑いして、
「そうか、主をね……兄ちゃん……若いけど大丈夫かね。まぁ……でも腕は確かだ。兄ちゃんの主さんもきっと元気になるだろう。……そろそろ、先生が出てくると思うよ」
老人はそう答えると、診療所の扉が開いた。
白衣を着た長身の女性。
……そう、昨晩、毒に侵されたフィリアを救った女医。
老人は軽く手を挙げて頭を垂れた。
女医はスンとした態度で同じように手をひらひらと振って応えた。
そして老人はその場を去ってゆく。
女医はヴィレムに対して見向きもせずに、診療所の脇にある菜園へと向かった。
そして、慣れた手つきで旬の竜髭菜〈アスパラガス〉やそら豆を収穫し始めた。
「とても、綺麗に育っていますね」
ヴィレムは女医に話しかけた。
それは、いつも通り好青年を装う作ったような笑みだったが、彼が向けると不思議と心地よく、異性ならば自然とほころぶような穏やかさを帯びていた。
「…………」
女医は返事をしなかった。
慣れた手つきで植物に水を上げ、立ち上がる。
ヴィレムはずっと笑顔を向けたまま、彼女を見ていた。
「……何ずっと笑ってるの」
「貴方が魅力的に見えまして」
「……気色悪い」
「えぇ……それは、傷つきますね」
「その傷は私には治せそうにないわね」
女医は冷たくあしらった。
ヴィレムは、折れずに彼女に接触を試みる。
……何かを探るかのように。
「あの子なら、まだ寝てるわよ。衰弱してたから、明日の朝まで休ませた方がいい」
「そう仰っていましたね。ですが、やはり様子が気になりまして」
「気になったところで、顔見て終わりじゃない。早く帰んなさい」
女医からは何処かピリピリとした雰囲気が感じ取れた。
彼女は玄関に置かれた野菜を運び込もうと手をかけた時、
「お手伝い致します」
ヴィレムは野菜が入った木箱に触れた。
木箱を持ち上げようとした彼女の手の上から。
笑いながら。
「目の前で女性が重い荷物を持つのを見過ごせませんよ」
「…………気安く触らないで」
女医は手を払った。
ヴィレムは内心、いつもなら気を許すなり、目を輝かせるなり
……こう接していれば女性は気軽に話しかけてくれるものだと思う。
だが、この女性は何か違う。
貼り付けた笑み──
いや、感情を悟られぬように仮面のように被る笑顔の下で、彼はそう考えていた。
「先生、あまりお休みになられていないでしょう? 朝早く、主を診て頂きましたし。…………ですから、お礼として朝食を振る舞わせてください」
恩を返せば気を許すかもしれない。
それに、料理は得意だ。
ヴィレムがそう答えると、
「あんただって寝てないでしょ? さっきから2時間くらいしか経ってない」
「休息に関しては問題ないですよ? 私は使用人ですから、あまり休みませんし。それに主が気になって、先生に話を伺いたいのもありますし。……料理は得意ですから、お任せ下さい」
ヴィレムは爽やかにキラキラした笑顔を向けた。
女医は少々呆れ気味に、
「分かったわ…… 良家の使用人なら良い朝食が食べられそうね」
そう答え、ヴィレムを屋内に上げた。
◇
ベレスフォード診療所。
それは、西の国〈ノインシュテルン〉で少し見慣れない、白木を使った木造を基調とした清楚感のある屋内だった。
港町〈グランツ〉は基本的に潮風に強いように石壁の建物が多い。
崖の上で潮風から離れる位置にある関係なのか、それとも風を避けたくてこの位置にあるのか……そんな事は知る由もない。
室内の至る所に、緑がある。
西の国で見られる観葉植物、北の国を初めとした東、南の国に生息する薬草〈ハーブ〉など。
手入れもされており、とても綺麗に育っていた。
ヴィレムは、フィリアの従者であり執事でもある。
それ故に料理に対しての興味はある方だった。
「緑が沢山ですね。食事や薬に使われるのでしょうか?」
「そうだけど?」
「菜園のお野菜もでしたが……とても育てるのがお上手ですね?」
「ただの趣味よ。この町は気候が安定してる。都合がいいだけ。それだけよ。」
「手入れもとてもされて……」
ヴィレムが続けようとした時、女医は不機嫌そうに野菜の入った木箱を置いて、振り返った。
不意に話を止められた。
「ここがキッチン。好きに使って。あたしは、あんたのご主人様の様子を見て、隣の部屋で休んでるから」
「かしこまりました」
ヴィレムはいつも通りの好青年スマイルで答えた。
そのまま女医から目線を外さない。
女医は気まずくなって、
「……何よ。他に何かあるの?」
「そうですね。先程のお野菜と……育てておられる薬草は使っても?」
「勝手になさい」
女医は診察室に戻り、資料を抱えて2階へと消えていった。
「思ったより……気難しそうな方ですね」
ヴィレムは内心そう思った。
彼は袖を軽くまくり、キッチンを見回した。
そしてキッチンへと振り返り、少々楽しそうに食材を漁り出した。
