3章「白濤の港町」
第32話「 汐風と檸檬 - Her Heart Leaps at the White Sea. - 」
フィリアの様子を伺いに、ベレスフォード診療所に向かったヴィレムは、成り行きで朝食を振る舞うことなった。
その後、フィリアは翌朝に返すと女医に言われ、再び追い返されたあと──
ヴィレムが朝食を振る舞ってから、数時間後。
──昼頃のことだった。
フィリアは目を覚ました。
身体が、少しだけ重い。
熱を出してうなされたあとの倦怠感のようなものが少しだけ残っている……そんな気がした。
よく頭が回らない状態の中、フィリアは何も考えずに天井を見ていた。
白く、継ぎ目のない簡素な天井。
自分はベッドに寝ていて、いつもと違う服を着ている。
虚ろな意識の中、顔を横に向けると、レースがかかった窓があった。
窓は少しだけ空いていて、その隙間からいつもと違う匂いがした。
フィリアは、少しだけ身体は重いが、起き上がって窓から外を覗き込んだ。
「わぁ」
窓から見えたその景色はとても美しく、フィリアは思わず感嘆の声を上げた。
初夏の輝かしい陽が差し込み、匂うのは港の町の潮風。
遠くに見える海は、宝石のように輝いていた。
毒に侵され早朝から、つい昼まで意識が無かったフィリアは、自分が港町〈グランツ〉にいることも、ヴィレム達4人が明け方に見た美しい港町の風景も知らなかった。
「あれ…… どうしたんだっけ……」
思わず小さな声が出てしまった、フィリア。
すると、扉が開く音が聞こえた。
コツコツとヒール靴が音を立て、やがて自分のベッドの前で止まる。
病室の仕切りカーテンが開くと、その先には、白衣を着た、柑子色のボブヘアをした、とてもしなやかな体躯の女性が立っていた。
「目が覚めたようね」
「あ、えと……」
フィリアは思考が追いつかず、少しおどおどしているようだった。
「あんた、毒にやられてここに運ばれてきたのよ」
「毒…………たしか、港町に向かう途中……昨日の夜に蛇に噛まれて……」
「そう。一応言っておくと、ここは港町よ。あんたのお友達がここに運んできた」
「港町……?」
フィリアはまだ少しぼけっとしているようで、女医が眉をひそめながら、
「あんた、寝ぼけてる?」
「へ……? あ……す、すみません。ずっと寝てたみたいですし、頭が追いつかなくて」
「はぁ…… まぁ無理もないか。昨日の夜、蛇に噛まれた時から意識も無かったでしょうし、一時的に高熱も出てた。身体も怠いでしょ?」
「はい。大丈夫ですけど、ちょっと身体が重い……です」
「まぁ、今日1日休めば治るから。明日の朝、あんたの召使いに迎えに来るように話してあるわ。今日は休んでいきなさい。」
「は、はい! ええと、ありがとうございます…………?」
「なんで疑問形なの?」
「先生のお名前を聞いていないなと………… あっ、ボクはフィーです。助けてくださってありがとうございます」
「大したことはしてないわ。あたしは、レイ。見ての通りこの診療所『ベレスフォード診療所』の医者よ」
「レイ先生、ありがとうございます!」
「何回言うのよ」
「ふふ、感謝は何回でも…… お伝えします」
「そう、でもお代はちゃんといただくから」
「もちろんです」
「……いい所のお嬢さんだろうし期待しとくわ」
「おじょ……」
「あんた、貧相な体してるけど、女でしょ?」
「……!」
フィリアは慣れない感覚に少しだけ震え上がった。
旅をすると決めてから、ずっと男性のになりきって生きていたからだ。
ヴィレムと2人の時は、多少は女性らしく……王女らしく振舞っていたかもしれない。
それでも……見破られたり、見られてバレてしまうと、慣れない感覚に見舞われる。
正体がバレる事で、旅ができなくなる可能性だってあるのだから。
焦っておどおどしているフィリアの様子は、まるで狩られる前の小動物のようだった。
慌ててレースカーテンを引き寄せ、顔を隠す。
レイはそんなフィリアの姿を薄く笑った。
「フィリア」
「はっはい! あ……」
フィリアは思わず返事をしてしまった。
そして顔を赤らめた。レイは『フッ』と不敵に笑うと、
「あんたの身分は見当がついたわ。でも他言はしない。安心しなさい。あたしは医者だから、患者のプライベートは守る」
「あ……ありがとうございます。でもどうして……分かったのですか?」
レースカーテンを顔まで引き上げ、隠れるようにして、隙間から除くように聞き返した。
「……着替えさせた時よ。その時に身体も見たし、あんたのスカーフに名前の刺繍があった。それに、ミレーヌ王妃と同じ白髪。この国では白髪は珍しいし、『善王の宝』呼ばれる名前を付けられる子供なんて、そうそういないでしょ」
「すごい……探偵さんみたいです。レイ先生は、聡明な方なんですね」
「憶測だったけど」
「それでもです。すごいなぁ……それに綺麗な方で頭も良くて……かっこいいです。ふふ……」
フィリアはレイと話しているうちに、不安と緊張が和らぎ、ふんわりとした笑顔でレイ褒めた。
「……」
レイは顔には出さなかったが、胸の奥が、少しだけくすぐったくなる。
フィリアの表情は純粋無垢な子供そのもので、愛らしい容姿から溢れる笑顔は天使のようで。
レイは『ごほん』と咳払いをすると、
「あんたの召使いが、朝食の作り置きを残していったわ。食べられそうなら準備するけど」
フィリアは時計を見ると、時刻は正午。
昨日の夜からもうこんなにも時間が経ってしまったのか。
そう思った。
「先生は、お昼休みですか?」
「患者がいたら休みは無いけど」
レイのちょっとした嫌味。でもそれはフィリアには悟られず。
「では、患者さんが居なかったら休み時間ですね。……先生とお話したいです」
「……」
「……だめですか?」
フィリアは少々照れながら、でも本心は、かっこいい女医のレイに興味があって、話したい。
そんな気持ちを胸に抱いて。
「話す元気があるなら、食事はできそうね。吐き気もないでしょうし。今日は天気もいいわ。下のテラスで食事にするわよ」
「……! ありがとうございます!」
フィリアは嬉しそうに笑った。
「気になるなら着替えて、下に降りてきなさい」
レイはそう言うと、診察室のある1階へと降りていった。
「レイ先生……ふふっ」
フィリアは新しい出会いに胸を躍らせた。
かっこ良くて綺麗な大人の先生。
自分の正体を見抜きつつも、職務を全うするプロ意識。
そんな彼女と話せるのが嬉しいようで。
ベッドの脇にはチェストがあった。
その中に、洗濯された自分の服があった。
勿論、大切な空色の石がはめ込まれたブローチも、母から貰ったスカーフも。
ワンピース上の病院服を着たフィリアは、いつものジャケットを羽織ろうとしたが、少々暑そうで着るのを辞める。
西の国〈ノインシュテルン〉のある大陸の東側に位置する港町は、日光で白く眩く反射するブラン海に面している。
この時期の白き海には、温暖な海流や風が吹く特徴があり、精霊の森〈フォレルの森〉にいた時と1ヶ月〜2ヶ月程の気候の差がある。
落ち着いて見下ろすように自分の服装を確認するフィリア。
自慢の毛先が青みかがった白髪が垂れ下がり、ワンピース故に平坦さが増している体躯は、よりシンプルに見えた。
これなら、いつも聞いているベストもいらなそうだ。
気になる髪をバレッタで簡単に束ねて、いつもかぶっているまん丸のキャスケットをかぶる。
「やっぱりこれが落ち着くなぁ」
フィリアは小さな声でぼやくと、ブーツの隣に置いてあったサンダルを履いて階段を下りていった。
◇
1階へと降りると、白を基調としたとても空間のある部屋が広がっていた。
勿論部屋の仕切りとしての壁はあるが、天井が高く、不思議と開放感がある。
見渡すと玄関エントランス兼待合スペース、診察室、キッチンを含めた私室スペースと部屋があるようだった。
玄関側に見ると、まるでブティックのショーウィンドウのような、大きなガラス窓がある。
外にはサンシェードがかかっており、日差しを軽減させているようだ。
日当たりが良い為か、窓の近くには沢山の植物が並べられている。
その先にレイは立っていた。
「お待たせしました。えっと…… なにか手伝えることは?」
フィリアは問いかけると、
「無いわよ。もう全部準備したから。座んなさい。」
「ありがとうございます」
フィリアは腰掛けると、 食卓には、美味しそうなクロワッサンとサラダ、紅茶。
おまけにジェラートまで並んでいる。
一方、レイの方はヴィレムが多めに作ったクロワッサンと、軽めのパスタが並んでいた。
フィリアは祈り手で軽く目を瞑った後に、『いただきます』といって、紅茶を1杯飲んだ。
そして、クロワッサンを頬張った時、とても幸せそうに。
「美味しい……!」
と、声に出していた。
「いっつも食べてる味じゃないの?」
レイは冷やかすように言い返す。
「そうなんですけど……ヴィレムの味というか。何食も抜いたわけじゃ無いですが……いつもより美味しく感じます」
「へぇ。あんたの召使い。いい腕してるわね。料理は上手いと思った」
「先生は、朝一緒だったんですね。ヴィレムの料理は絶品です。私が子供舌なのも分かっていて、食べやすいようにしてくれたり……紅茶を入れるのもとても上手なんですよ」
フィリアはにこにこしながら、大切なヴィレムの話をした。
「ふっ…… あれならいいお嫁になれるわね」
レイは鼻で笑うようにさらっと冷やかした。
実際には褒めてはいるのだが、素直にそうは言わないのだ。
「ヴィレムは男性ですよ? ……あ、そうか! 確かにヴィレムは女性っぽいところもあるかもしれません…… ボクにあれこれ言う時はお母さんみたいで……!」
レイはフィリアに冗談は通じないと思って、適当に冷やかしたのだが、真面目にそれを考えるフィリアを見て、さらに面白がった。
「自問自答してるわよ。でも、お母さんねぇ……」
「はい。お母さんです……」
「ふっ……あんた面白いわね」
レイは、軽く笑った。
真面目に冗談もなかなか通じずに話すフィリアが、ただ……面白い。
そう思った。
「面白い……ですか?」
フィリアはただ、自分から見たヴィレムの話をしただけで、疑問に思うところもあった。
「あたしはそうは考えられないから。」
レイはそう言って、食卓の真ん中に置いてあった瓶を空けた。
中には檸檬の輪切りが入っており、それを紅茶の中へと入れる。
フィリア達が使っているカップとソーサーはガラス製で、中の色味が日差しを受けてとても綺麗に見えた。フィリアは興味ありげに、
「それは?」
フィリアは問う。
「檸檬の蜂蜜漬け」
「おいしそう……ボクもいいですか?」
レイは「ん」と頷くと、蓋を閉じる前にひょいとフィリアの紅茶に檸檬を入れてあげた。
「檸檬を入れると紅茶の色味が変わるの……不思議ですよね。ここは日当たりが良いから、赤が綺麗に見えます」
フィリアは楽しそうに、カップの中の紅茶を覗きながら答えた。
「檸檬で紅茶の色素が酸性化して色が変わってるだけよ」
「へぇ……そうなんですね」
潮風がテラスを抜け、檸檬の香りをそっと運んできた。
フィリアはにこにこしながら紅茶を嗜む。
「お砂糖なくても美味しいですね。少しだけ背伸びした気分です。ふふ……」
レイはなりふり構わずクロワッサンを食べていた。
「そう言えば、ヴィレムは檸檬が苦手なんですよ。……あ、これは内緒です……ヴィレムは自分のことを話したがらないから、みんなの前でお話したら……怒られちゃって……はは……」
「へぇ、だから檸檬が使われてなかったの。港町は檸檬がよく採れるし、あたしも好きだから、そこら中に置いてあるんだけど」
よく見渡せばそうだ。
庭にも檸檬の木がある。
テラスの端にもドライフルーツ用に柑橘の輪切りが干してあった。
「こんなに美味しいのに勿体ないです……」
フィリアはしょんぼりしていた。
一つ一つのことに喜怒哀楽が繊細に表現される彼女の姿は、基本的に感情表現が平坦なレイにとっては、純粋に子供っぽく見えた。
「……好き嫌いは誰にでもあるけど、自分が好きな物が嫌いなのは少し解せないわね」
「先生、好き嫌いは治せますか?」
「唐突ね。それこそ気合いなんじゃないの? 食べて死ぬ物なんてそうそう無いし、流石に分かるでしょ。中にはアレルギーもあるけど。そうじゃなきゃ基本的には問題ないわよ」
「そうですよね。もしヴィレムが檸檬を克服できなかったら、先生の蜂蜜漬けを食べさせてあげてください」
フィリアは手を握って一生懸命そうに話していた。
「あんたを迎えに来る時くらいしか、もう会うことは無いけどね」
気がつけばレイは食事を終えていた。
フィリアも思ったより食欲があるようで、元気そうにご飯を食べている。
そんな様子を頬ずえを付きながらレイは見ていた。
フィリアが食べ終わる頃、レイはぼそっと、
「あんた、なんだか王族っぽくないわね」
「え……」
「なんかその辺の子供みたい。世間に疎いところ、とか時々いい暮らしをしてたような仕草はあるけど」
「そうなんです? ……自分には分からないです?」
「また疑問形。そうね……私が知ってる昔話だけど、凍りついてしまった国を、1人の勇者が民の心とその土地を見守る星の力を使って、大きな焔を生み出して、導いた話がある。まあ、人のことを導ける人なんだから堂々とした勇者様だったに違いってあたしは思ってるけど。」
「その話どこかで聞いた事あるような……でも、確かにそうかもしれないですね。ボクも……この旅を通して強くならないと」
フィリアがそう言うと、レイは立ち上がり片付けを始める。
「その元気があるなら大丈夫そうね。明日から旅を再開するためには、今は休むこと。片付けはやるから、病室に戻って休んでなさい」
レイはそう言うと、キッチンへと食器を運び始めた。
「あ……食器運ぶのは手伝います!」
「……どっかの坊主に、そっくりね」
レイは意味深にぼやく。
フィリアは慌ただしく、食器を運ぶのを手伝い、部屋へと戻って行った。
