3章「白濤の港町」
第33話「 癒しの代償 - The Bill from Beresford Clinic. - 」
毒に侵されベレスフォード診療所で休んでいたフィリアは、無事に回復し、女医レイとひとときを過ごす。
そして翌朝、フィリアは皆と合流する。
翌朝。
フィリアは一日ゆっくりと休み、とてもすっきりとしていた。
つい一日前まで毒に侵され、死にかけていたとは思えないほど元気だった。
身支度を整え、二階の病室から一階へ降りると、ヴィレムが立っていた。
たった一日会っていないだけなのに、なぜか久しく会っていない気がする。
いつも通り穏やかな笑みを浮かべるヴィレムを前に、フィリアは思わず駆け寄った。
「ヴィレム……ごめんなさい、心配かけて」
「大事に至らなくて良かったです。……どこか違和感はありませんか? 何事もないですか?」
ヴィレムはフィリアの肩に手を置き、やや前のめりになって尋ねてくる。
……ヴィレムなりに、かなり心配していたのだろう。
気がつけばしゃがみ込み、毒蛇〈ヴァイパー〉に噛まれた膝のあたりまで確かめていた。
それを許されるのも、ヴィレムだからこそだった。
「ヴィレム…… だいじょぶ……だよ?」
「いいえ。もし傷跡が残ってしまってはいけませんから」
フィリアは本当に何ともない。
けれどヴィレムが離してくれない。
そんな中、レイがやって来た。
「失礼ね。あたしが診たんだから、傷も後遺症も残らないわよ」
レイは腕を組み、ヒールを『カツン』と鳴らしながら不機嫌そうに言った。
「先生、おはようございます。そうですね、先生はとても腕が良いと評判ですから。主が──フィー様がお世話になりました」
ヴィレムは目にも美しい所作で、レイに敬意を払う。
「ふん。医者なんだから当然よ。貰うもんは貰うから」
「勿論です。請求はこちらに」
ヴィレムが小切手を取り出すと、レイは肩をすくめた。
「残念だけど、うちは現金主義なの」
「分かりました。おいくらになりますか?」
ヴィレムが尋ねると、レイは手にしていたバインダーのカルテを読み始めた。
「通常診察料、早朝診察料、魔物による毒の特別処置料、諸々の薬草代、入院料一泊二日、その間の病室使用代、食事の提供、衣類のクリーニング料、貴族向け診療報告書作成料、緊急対応特別加算…………あと、檸檬代」
「え……檸檬……?」
無表情で請求項目を読み上げるレイ。
ヴィレムは、それまでの内容よりも最後の『檸檬』が妙に気になった。
「以上、合計で……15万シエル」
「はい。15万シエルですね」
「そうよ」
「…………ええと、大変失礼というか恐縮なのですが……流石に一晩でそんなには付きませんよね?」
いつも穏やかな笑みを崩さないヴィレムだが、その笑みは徐々に薄くなっていく。
……ように見えた。
「冗談冗談。10万シエルだったわ」
「……それでもありえないですよね?」
「有り得るわよ? ああ、ちなみに口止め料も入ってるから。ね、フィリア姫様?」
レイは嘲笑混じりの笑みでフィリアを見る。
相手が王族でも引くことを知らない。
「は、はい! 先生はボクのことを知っていますが、大事にならないようにしてくださるって」
きっと、純粋で素直なフィリアだからこそ言いくるめられたのだろう。
ヴィレムはそう思った。
だがフィリアの金銭感覚は、やや貴族寄りだった。
大昔の皇帝や、よく聞く貴族ほど荒いわけではないが。
そもそも今回の旅では、金の使い方や稼ぎ方を教えるつもりだったのだから。
「……あ、あのヴィレム……もし今回のことが、お父様の耳に入ったらって思って……」
「ああ……それもそう……ですね」
ヴィレムは少し頭が痛くなってきた。
「レイ先生、猶予はございますか。滞在は5日ほどを予定しています。その間に十万シエルを返済する。それでお願いしたいのですが」
「宛てはあるの? 返してくれりゃそれでいいけど」
「……最悪は想定して、伝手はあります」
「分かったわ。あんまり王族にちょっかい出しても面倒だから」
レイはふと何か思い出したように言った。
「……そうだった。港町〈グランツ〉の西海岸の離島の話は知ってる? あたし、あそこに用があるんだけど。見ての通りインドア派だから」
「何か探し物があるのでしょうか?」
フィリアは恐る恐る聞く。
「薬草とか諸々。あとはそうね……お宝があるらしいわね。不死身になる石だったかしら。少し気になってるの」
「レイ先生はあまりそういう物に興味無さそうですが……」
「失礼ね。医者なんだから、非科学的な物を目で見て否定したいだけよ。もし本物なら売ればいいじゃない」
「売るんですか……」
「金はあって困るものじゃないわよ。何が起きるか分からないもんね?」
レイはにっこりと笑った。
その笑みには、どこか深い意味がありそうだった。
「分かりました。滞在中に何とかお金は準備します」
「頼んだわよ」
レイは手をひらひら振った。
◇
フィリアとヴィレムは診療所を後にした。
外に出ると、玄関の前に野菜を持った少年が立っていた。
昨日ヴィレムが会った老人の関係者だろうか。
二人が会釈すると、少年は少しおどおどしながら野菜を置き、走り去っていった。
何やら落ち着かない様子の少年の姿を見送り、二人は歩き出す。
暖かな日差しと潮風がフィリアの前髪を揺らす。
ヴィレムの癖毛も、わずかに揺れていた。
フィリアはヴィレムの顔色を伺いながら、ヴィレムに話しかける。
「あ、あの……ヴィレム。その、ごめんなさい。お金大丈夫でしょうか……」
フィリアはとても気まずそうだった。
いつもよりぎこちなく話す。
「何とかしますよ。だから気にしないでください」
ヴィレムは妙に静かだった。
こういう時のヴィレムは深く考え事をしている。
そして、そっとしておいた方がいい。
なんでもこよなくこなすヴィレムだからこそ、期待の意味も込めて、そして、こういう時はいつもよりも思考を思考を巡らせているのも何となく分かっていた。
「うん。でも、無理はしないでくださいね。」
フィリアは、本来はヴィレムに守られる立場だ。
でも、立場で彼を守れるのは自分だということも分かっている。
だから、今言えることはそれだった。
考えるヴィレムの足は、フィリアが床に伏せている間、皆が今回の滞在で拠点とする宿屋へと向いていた。
港町は、弧を描いたような湾岸と崖に建築物がそびえ立つ。
そして掘り下がるように、段状に建物が並ぶ。
1番下には港がある。まるで巻貝のような構造だ。
白く美しい建物と、アクセントのように映える青い扉や庭先のプランター。
まるで空の上のような、その町は病み上がりのフィリアにとっては、天国のような場所にも思えた。
白の街と呼ばれる『王都〈リヴェリウム〉』とはまた異なる、強い日差しが照らすその土地の物は、とても鮮やかに見えた。
ヴィレムは黙り、考え事をしながら歩き続けるが、フィリアは街並みを眺めながら、見たことのない風景を目に刻み込んでいる。
湾岸特有の風に乗ってくる潮の香り。
潮の香りが胸いっぱいに広がり、フィリアは静かに息を吸い込んだ。
爽やかで、心地よくて、どこか安心する。
気がつくと、宿屋の前へと辿り着いていた。
真っ青な屋根に白い壁はお決まり。
花の街で見たような、ウォールプラントが日差しを程よく防ぐ壁となって、優しげな木漏れ日を生む。
そんな美しいテラスがある宿屋だった。
「フィー、ここが今回宿泊する宿屋です。皆さんは食料や道具の調達に行っています」
「うん。とりあえず、荷物整理かな?」
「そうですね。あとは、シャワーを浴びた方が良いのでは?」
本来、フィリアは綺麗好きで、シャワーを浴びれないとソワソワしだすほどである。
だが、自分の医療費の事が気になりそれを忘れていた。
「……ほんとだ。そういえばシャワー浴びてなかった……!」
「珍しい……ですね?」
「あはは……」
「貴方のことでしょうから、心配事でしょう。浴槽のある部屋を借りたので、準備しますから」
ヴィレムはやや心配そうに答えた。
「浴槽って事はお風呂!? お風呂に入れるの……?」
「左様でございます」
「お風呂! お風呂!」
フィリアは子供のように喜んだ。
彼女はバスタイムが好きなのだ。
特別美容に気を使っている訳でもない。
ただ、湯船から立ちこめる湯気を見ながらぼーっとリラックス出来る時間が好きなようだ。
ヴィレムはやっと調子が戻ったと思い、フィリアを部屋へ案内した。
今回は、フィリアとヴィレム、アルトとキナリ、女性のエレナと部屋分けをした。
西の国の小さなリゾートとも言える港町ではあるが、シーズン前で程々に人が捌けていたようだ。
部屋へ入り荷物整理を始める。
と言ってもそれほどすることはなく、フィリアは洗濯物を取り出し、着替えを準備して、備え付けのバルコニーへと向かった。
今日のは晴れ。
雲は程々にあって、水平線に並行になるような大きな雲がかかっている。
強い日差しは水面を反射させ、鏡のように眩しく白く見える。
フィリアは何か思い出したように、ポケットから小さな石を取り出す。
『鏡石〈ミラーストーン〉』だ。
所謂、映像石で、魔力を込めることでその場の情景を記録できる魔法石の1種だ。
フィリアは手のひらに、鏡石を乗せて、少しだけ魔力を込める。
こうやって旅した所や美しい風景を記録しているのだ。
「フィリア様? お風呂の準備が出来ましたよ」
の絶景を眺めていると、ヴィレムから声がかかる。
「今行きます」
そうしてフィリアはバスタイムに向かう。
◇
花の街〈フルール〉を滞在していた時は、基本はシャワーだった為、湯船に浸かるのは久々だった。
「うーん、やっぱりお風呂はいいなぁ。ふふ」
フィリアはご機嫌だった。
脚をゆったりと伸ばして、浮かせるようにゆっくりとくつろぐ。
「湯加減はいかがですか?」
ヴィレムは浴室の外で、主であるフィリアを見守りながら問う。
「うん、丁度いいよ」
「つい数年前までは、湯浴みもお手伝いしていましたが…… フィーも、ひとりでできる程に成長されましたね」
「うん。いつもローズやマリーにお願いしていたけど、自分で出来ることって案外あるんだって……思ったかな」
「本来、皇族や貴族は雑事は従者に任せるものですが……今のフィーのようにできることが多いのは、誇らしいことだとも思いますよ」
「そうだね。でも、やっぱり髪を洗ったり、身体を流すのは頼んだ方がすっきりするかも……」
「自分に対してのことは時に難しいこともありますからね。もう私も、フィーの湯浴みを手伝うことはできませんから。男として振舞っていても、身体は別ですからね」
そう言われたフィリアは、自身の身体を眺めて思った。
「ボク……私の体はそんなに期待する程じゃないけど……でもそうだよね。これでも15歳なんだもんね」
痩せ型で、女性的な身体的特徴も薄いフィリア。
成長が遅く童顔なこと、自慢の長い白髪に青みがかったグラデーションの髪だけが、彼女を女性だと認識させる要素だった。
そういう意味では男装するには適してはいる。
「15。そうです、旅を終えたらデビュタントのお約束ですからね」
「こんなでドレス似合うかな……ちょっと心配かも。……でも、お城から出て外を見れるのは今だけだから、それは楽しみたいし、ちゃんと気持ちを固めたいな。あとは、デビュタントに備えて社会勉強とか淑女としての嗜みとか……そうだ、女性らしい事はエレナに聞けばいいんだ……!」
フィリアは心配事や思いを口にしながら、気がつけば自問自答していた。
そんな様子を、戸の向こうのヴィレムは薄く微笑みながら聞く。
「それでこそ、貴方ですよ」
フィリアは立ち上がって、体を拭く。
5年前、旅に出ると誓ったあの日から、できる限り1人でできることはしてきた。
慣れた手つきで、体を拭いて、服を着て、濡れた髪をタオルで軽く拭いて、ヴィレムのもとへと顔を出す。
「上がったよ、ヴィレム!」
病み上がり。
ちょっぴり調子が戻らずにいたフィリアは、気がつけば青空のように晴れて、いつもの優しい笑みをヴィレムに送る。
無邪気で曇りのない笑顔で。
「いつもの調子に戻りましたね。さぁ、御髪を乾かしましょう。皆さんが戻ってきますから」
「うん。ありがとう、ヴィレム」
フィリアとヴィレムは髪を整えながら、アルト達の帰りを待つのだった。
